1)三菱の航空エンジン通史(写真:三菱航空エンジン史 p157)
三菱は大正5年(1916),航空エンジンの製作に乗り出すことを決めた。
ライト兄弟が動力飛行に成功した1903年から十余年後のことである。
大正9年(1920)には三菱内燃機製造(株)を設立、
航空機エンジンの製造,修理を開始した。はじめのうちは欧州のエンジンをお手本に水冷及び空冷エンジンの試作を行った。
昭和9年(1934)三菱重工(株)と改称し,昭和13年(1938)には同社の名古屋発動機製作所とし独立した。
第二次世界大戦を前に航空エンジンの開発製造が本格化するなか,「二兎追うものは一兎を得ず」の諺に鑑み,
空冷式に特化することに決めた。
空冷式が水冷式に対して製造性・発展性(高出力化)に優れるとの判断にもとづく.
三菱は昭和20年の終戦までに航空機エンジン約52,000基を製作した。
2)名古屋発動機製作所の建設・工場配置図(三菱航空エンジン史 p156、158)
昭和12年7月1日、名古屋発動機製作所(名発)として新設された大幸工場の昭和19年4月現在の配置図と
当時の主な建設構想を転記する。
イ)建屋は平屋とし、そのスパンは18mとする。
ロ)棟数を少なく、1棟約2万坪、隣接工場との間隔は1スパンとする。
ハ)工場の周囲はすべて芝生とする
ニ)工場床面は全部コンクリート打ち、工作機械のための基礎は作らない。
ホ)工作機械は置いたままで、基礎ボルトは使用しない。
ヘ)動力線、蒸気管、空気管、スチームヒーターなどは屋根組に取り付け、地下には設けない。
ト)工場内の間仕切りは低くして見通しを良くする。
チ)工場内に貨物自動車の通路を設ける。
これらは、当時の一般的な工場概念をくつがえすものとなっており、その頃には珍しい大型平屋工場であった。